デス・オーバチュア
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「仲間割れかい? 下種に相応しいね」 ノワールは、アンベルとタナトスの方にラストエンジェルを突きつける。 「ちょっと、あんた、タナトスに何を……」 「黙れ」 アンベルを怒鳴りつけようとしたリセットが、硬直した。 アンベルの冷徹な声を聞いた瞬間か、それとも一瞬、彼女の不気味な琥珀色の瞳と目が合ってしまった瞬間か、とにかくリセットは指一本動かせなくなり、声を発することもできなくなる。 アンベルはタナトスに突き刺していた右手を引き抜くと、人差し指の先の血を舌でペロリと舐めた。 「うん、極上♪ あはは、思ったとおりですね」 「今度こそ跡形もなく消え去るがいい、下種共っ!」 ラストエンジェルから、九色九つの閃光が解き放たれる。 最大の技を使うまでもない、九要素の破壊エネルギーを放つだけで、こんな下種共には充分すぎるのだ。 まぐれや奇跡はそう何度も起きるはずがない。 「オーニックスちゃん、アレお願い」 アンベルは、迫る九つの閃光に対し、迎撃体勢も防御体勢もとらず、ただ遠方の妹に声をかけただけだった。 オーニックスの足下から走った影が一瞬で床全てを埋め尽くす。 九つの閃光がアンベル達に激突する直前、影の床から巨大すぎる白銀の十字架が飛び出し、閃光を全て遮断した。 「なんだと!?」 一瞬で閃光を無効化した白銀の十字架には修道服の幼い八〜十歳ぐらいの少女が張り付けにされている。 「さあ、聖処女……いいえ、女神の血で蘇るがいい、電光の覇王よっ!」 アンベルは血で塗れた右手を降った。 血飛沫が白銀の十字架に降り注ぐ。 少女の首輪、手枷、足枷と十字架との接続が外れ、少女が十字架から解き放たれた。 少女が地に着地すると同時に、少女の顔から目隠しと口封じがスルリと外れる。 僅かに紫がかった白髪に石榴石(ガーネット)の瞳、修道服(修道女の服)とチャイナドレス(東方の女武道家の服)と鉄の枷と鎖の混ざったような奇妙な衣装の少女は、正面のアンベルをボーッと眺めていた。 「あははっ、さあ、あなたのマスターであるこのアンベルが命じます……あいつを殺っちゃえっ!」 アンベルはビシッとノワールを指差す。 「…………」 少女はしばしの間の後、アンベルの命令を拒絶するように、あるいはアンベルの存在を無視するように、プイッと顔を横に向けた。 「あはっ?」 「…………」 「ランチェスタちゃん? 御主人様の命令が聞こえなかったんですか?」 アンベルは、しょうがない子ですねといった感じで、再度命令をする。 しかし、やっぱり少女はアンベルの命令にまったく反応しなかった。 少女はキョロキョロと周囲を見回していたかと思うと、タナトスを見つけ、そこで視線を止める。 「……お前は?……あの時の……無事だったのか?」 タナトスはいつのまにか正気を、外の世界への認識を回復していた。 正気を取り戻した理由は、アンベルに胸を貫かれた衝撃でか、それとも少女がこの場に現れたからか、それはタナトス本人にも解らない。 少女はタナトスに駈け寄ると、迷わずタナトスに抱きついた。 少女はタナトスに頬ずりする。 「……封印を解いたわたしじゃなくて、血の提供者をマスターと認め……というか、懐くんですね? まあ、確かに極上の処女の血ですしね」 アンベルはいまだ手に残っている血を舐め尽くした。 「……というわけで、あなたがその子に戦うように命令してくれませんか? それとも正気を取り戻したなら、あなたが戦いますか?」 「戦う?……この子が?……」 星界で出会い、悪魔界を介して、地上へと戻る際にはぐれた魔族らしい少女。 タナトスが少女について知ること、少女との関わり合いはそれだけだった。 『あんた、このチビガキのこと電光の覇王って呼んだ? なるほどね、もし本当にこのチビガキがあの電光の覇王なら……よし、決定! タナトス、このチビガキに戦わせて、その隙にリセットちゃん達は逃げちゃおう!』 「なっ?……何を言い出す、リセット……こんな幼い子に何を……て、こら……んっ……よせ……」 抱きついて頬ずりしていた少女が、タナトスの胸に顔を埋めると、胸から流れる血を舐め始める。 「んんっ……くすぐったい……やめ、あっ……」 「ああ、このチビガキ! 私のタナトスを……離れなさいよ! タナトスの歳の割には小さくて愛らしい胸はこのリセ……」 「あの〜、いい加減にしないと、無視されている黒い皇子様がキレると思いますよ?」 アンベルが、ノワールを指差しながら言った。 ノワールは冷たい眼差しでこちらを眺めている。 タナトスと少女のやりとりの間、追撃の攻撃をしてこなかったのは、律義なのか、呆然としていたからか、それとも何か理由があるのか、それはノワールにしか解らないことだった。 「まあ、何にしても、あの十字架の封印は天地開闢の光以外では、神属の処女の血でしか解けない……この場ではあなたしか条件が合う人がいなかったんですよね。ほら、わたしなんか、血も涙も無いですしね、『ロボット』だから〜♪」 アンベルは、だから細かいこと……胸を貫いた事実……は気にしちゃ駄目ですよと言う。 「神族の処女……の血?」 そういえば、以前少女を解放した時も手で触れる前に、十字架が後頭部にぶつかりそこを手でさすった気がする……その際に血が手に付着していたのかも知れない。 もっとも、あの時はそもそも物質的な肉体ではなかった気がしたが……。 だが、血が付いていた付いていなかったよりも、納得できないことがあった。 「ええ、この解除設定をした人物は物凄く悪趣味で、女性を馬鹿にしてますね。何が処女の血ですか? そして、意地悪です、魔界……魔族の世界に神属の者なんてまず居るわけないですからね……」 「待て、確かに私は、しょ……んんっ、はともかく、人間だぞ。神族などではない」 「神族じゃなくて神属、あくまで属性のことです。狭間の者である人間の中には神属性が異常に強い者、逆に魔属性が異常に強い者が生まれます……だから、それ程不思議でもないですよ」 「そういうものなのか……てっ、お前、もう舐めるのは……やめ……んっ」 いつのまにか胸に穿かれた穴は塞がり、溢れた血は全て舐め取られている。 それでも、少女はタナトスの胸を舐めるのをやめなかった。 まるで、乳を欲しがる乳飲み子のように、タナトスの血が飲みたくて仕方ないと言うように。 「血の代わりに母乳でもあげたらどうですか? といっても、処女のあなたに乳が出るわけありませんでしたね」 「むっ……」 「て、なんで悔しそうな顔するんですか? あげたかったんですか、母乳?」 「…………」 タナトスは答えなかった。 母乳うんぬんはともかく、この少女を可愛いとは思っている。 理由もなく愛おしかった。 「さて、そろそろいいかな?」 冷たく落ち着き払った声が聞こえてくる。 「結局、誰が僕の相手をするんだい? 決められないなら、全員まとめて消してあげるけど」 「……というか、会話している間は攻撃してこないなんて、意外と律義なんですね?」 「なあに、ちょっと呆れてただけさ。君達のあまりの危機感の無さにね……」 「なるほど。さあ、命令するんです、殺っちゃえ、ランチェスタ!……てね」 アンベルは再びノワールをビシッと指差しながら、タナトスを急かした。 「あ……だから……んっ……もう……やぁ……」 『いつまで舐めてるのよ、このチビガキッ!』 「いつまでやってるんですか!」 リセットとアンベルは同時に少女の後頭部を引っ張叩く。 リセットなどわざわざ体を一瞬実体化させての行為だった。 「……もういい。全員まとめて消えろ、下衆!」 つきあいきれんとばかりに、ノワールはラストエンジェルを九色九つの閃光と化し、左手から消滅させる。 神剣投影「九天鏖殺(きゅうてんおうさつ)」、ラストエンジェルの持つ九色の力を九本の神剣として一時的に具現(実体)化させるノワール最大の技だ。 「ちぇ、しょうがないですね。自分で撃ち……」 アンベルが何かしようとするよりも速く、少女がタナトスの腕の中から飛び出す。 空間に爆発するように電光が奔った。 電光が消えると、タナトス達の前に、ちょこんと少女が立っている。 「ふぇ、やりますね」 「馬鹿なっ……」 「いいこと教えてあげましょうか? あなたのその技、真の威力が発揮されるのは相手に突き刺さってからです。その前のただの九つの光の間なら、案外簡単に打ち落とせるんですよ。一瞬で九回殴るなんて、ランチェスタちゃんにとっては簡単なことでしょうしね」 呆然としているノワールに、アンベルが勝ち誇ったように告げた。 「簡単にだと……」 そんなはずはない。 神剣として形を成す前でも、九色の破壊エネルギーではあるのだ。 九煌閃(きゅうこうせん)……漏れ出る九色九つの閃光による攻撃の数倍の威力があるのである。 「ありえぬっ!」 ノワールの左手に再びラストエンジェルが出現した。 ラストエンジェルが青一色の剣スカイバスターに転じる。 「風爆!」 振り下ろされた剣から、文字通り爆風が解き放たれた。 「くだらない」 爆風はタナトス達に届く前に消滅する。 いつのまにか、タナトス達を守るように立ちはだかる少女のさらに前にリーヴが立っていた。 「なっ!?」 「どうやら、私は勘違いをしていたようだ。貴様はたいして強くはない」 リーヴは無象さに天空剣(スカイバスター)を一閃する。 直後、凄まじい爆風がノワールに直撃した。 「くっ!?」 吹き飛ばされていくノワールは、静寂の夜を出現させると、爆風を消去し、床に足から着地する。 「さて、私が倒してやってもいいが……基本的に私にはあの男を倒すどころか、戦う理由すらよく考えれば存在していない。ゆえに、お前に任そう」 「えっ……?」 リーヴは一瞬タナトスに視線を向けた後、室内の出入り口に向かって歩き出した。 「待て、下女! 僕に牙を向けておきながら、逃げる気かっ!?」 「貴様の相手は私ではない。そこの魔王もどきか、死神か、好きな方に倒されるがいい」 「ふざけるなっ!」 九天鏖殺、ラストエンジェルが九色九つの閃光と化し、リーヴに襲いかかる。 「その技は見切った!」 リーブの体が一瞬白く煌めいたかと思うと、九つの閃光は九方向に弾き飛ばされ、やがて消滅した。 「初見とはいえ、ルーファスもそこの死神を庇わなければ、この程度の技に遅れはとらなかっただろう。まして、私はすでにこの技を何度も見せてもらっている……」 静寂の夜の反二重奏で弾き飛ばされた後、ダメージを回復させながら、あの少年の戦い方を眺めていたのは伊達ではない。 リーヴは少年の技の全てを見切っていた。 「九種の力に九種の力でぶつかる必要などない。要は九発それぞれに対抗できるだけのエネルギーで、たった九回攻撃を跳ね返せばいい。速度も本物の光速であるルーファスに比べて遙かに遅い亜光速、その上、軌道は急所を狙ってくるので至極読みやすい……神闘気のパワーと神剣の硬度があれば、打ち落とすぐらい容易いことだ」 背中で語りながらも、リーヴの姿は出口に消えていく。 「惑わされるな、死神よ。そいつは確かに最強の力を持っているが、最強ではない」 リーヴは謎かけのような言葉を最後に完全に姿を消した。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |